心にぶつかりたかった。それを願うばかりに、多くの言葉も費すのに、彼は、驚くべき冷静さで云った。
「それは君の想像だよ。――君ばかりが、閑にあかして捏ねあげたものの証拠には、見給え」
 彼は、凱旋者のような眼に微笑さえ湛えて云った。
「現にこうやって一つ家に生活している僕が一寸も感じていないことじゃあないか」
 さよは、我知らず、
「独断家!」
と叫んだ。
「貴方、よくそんな! 自分の判るだけしか人生は、人間の心はないと思っていらっしゃるの?」
「亢奮しない方がいい。――而も、僕は君にとって、決してあかの他人だとは思っていない。少くとも良人だ。良人である自分に、君の……妻である者の大切な心持が判らない筈がないじゃあないか。それだのに、低能でもない僕に感じられないとすれば、気の毒だが、君の方が根拠が薄弱だ」
 さよは、心の歯を喰いしばった。彼女は、出来ることなら擲りつけて、良人を独善的な、紳士的な、冷血な頑固さから突き出したかった。彼は、さよの心が、どんなに苦しんでいるか思い遣ろうともせず、卑俗な自分の頭の正確さに、寧ろ愉快を感じてさえいるではないか? さよは、獣のように呻いた。ホッテント
前へ 次へ
全38ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング