うに庭に突出ている。保夫は、正面の濡れ縁に向って机を据えていた。夜の、何か濃い液体のような闇は、冴えた電燈が煌々と漲る敷居際でぴたりと押し返されている。彼の後姿は、光を浴びる肩の辺をしろじろと、前方の闇に浮上って見えた。
 さよは、静に机の傍に行った。保夫は、右手に青鉛筆を持ち、薄い仮綴じのものを読んでいる。――細かな横文字を無意味に眺め、さよは声をかけた。
「――おいそがしいの?」
 保夫は、背を延し、パラパラと頁を翻した。
「そういうわけでもないが……何故?」
「…………」
 さよは、夜気が身に迫るとでもいうように、単衣の袖を抱き合せた。保夫は、彼女の顔付を見、微かに表情を変えた。彼女は、藁半紙のようにごく粗末なパムフレットに目を据えたまま、思い込んだ調子で云い出した。
「ね、貴方――安心?」
「何が?――君のような出しぬけでは、返事に困るよ」
 保夫の言葉つきの裡には、充分な用意と、それを包んだ平静さ、子供扱いの気軽さを装う響きがあった。
「何だい?……地震」(一九二三年東京、湘南地方に大震があり、翌年になってもしばしば余震があった。)
「そんなことじゃないわ、地震なんか――私共
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