面を、その崩壊の端緒をあらわしている中流的環境とともに掬いあげ切れない。佐々という中流層の家庭の崩壊過程は、歴史の一典型として映っている。その下から、自然発生的に、やがては次第に意識的に、次代のジェネレーションに生きついでゆこうとする要素と、同じ環境から生い立って、その善意のすべてにかかわらず様々の道をとおって壊滅を辿らなければならない者と、それらも大なり小なりの典型として描き出そうと欲する。このような実験は、現在のわれわれとして社会主義的なリアリズムによるしかないと思われる。作者がこんにち立っている地点から、網がなげられるしかないのである。
 ところで、わたしには問題があった。社会主義リアリズムの方法は自身の経験のうちで意識して試みられた例に乏しいばかりか、一般にその方法の機能《ファンクション》について、更にその機能の細部について、まだ見きわめられていない。大まかに、社会と人間の有機的な諸関係をその歴史の積極な方向――社会主義の展望において描き出す、という規定を土台としているだけである。プロレタリア文学の時代、その最後の段階で、「前衛の目をもって描け」と云われたことは、社会主義リアリ
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