アンナ・カレーニナの悲劇が生きられていることを歴史的・人間的悲劇と腐敗の現実として、しんからつかんでいて、云ってみれば、トルストイ自身が自然発生的な批判とそのリアリズムで描き出した社会的モメントを、一そう明確にして、それにたいしてより高次元のヒューマニティがたたかうべきものと認識した客観性で演出しているからである。
 一つの社会が、ある文学を生き越しきる、卒業する、ということは、社会史上の事業に属する。文学者は、この複雑で長い期間に亙る発展の見とおしに即して、自身の文学が、やがて真に生きこされ得る時代をもたらすようにと尽力する。社会主義リアリズムの方法は見とおしの長い方法であるはずだ。曲折にたえて、社会と個人の相互関係については、動的で柔軟な見とおしに立たなければならない必然が、こういうところからも説明されると思う。
「伸子」の批判的――と云っても主として被抑圧的な者の立場からの照明を与えられている――リアリズムの方法によって、「二つの庭」を書けない。わたしとしては、過去のプロレタリア・リアリズムが主張した階級対立に重点をおいた枠のある方法では、階級意識のまだきわめて薄弱な女主人公の全
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