るだろうと思う。肉体文学というものの袋小路が思いあわされる。こんにち世界で十数億の人民が平和と原子兵器禁止のために発言している。その過半数は婦人であり、第二次大戦の犠牲者たちである。ある人によれば、これらの婦人たちの性のクレイムが彼女たちの熾烈な平和への要求となっていると説明されるのかもしれないが、その要求は、フロイド時代の棗《なつめ》の実の夢、その他に表現される潜在的な形をとらない。彼女たちは政治的に平和のための運動を世界にひろげつつある。かつて意識の底によどんで潜在し、ヒステリーをおこさせていたものを、みずから意識し、更にそこから苦悩の原因をとりのぞくために、きわめて現実的に、顕在的に行為する時代にはいって来ている。わたしたちの心に疼くきょうの自由についてのコンプレックスは、「家」その他日本的な種々雑多な因子としている上に、将来日本が憲法をかえてさえ再武装するかもしれないという信じがたいほどの民族的苦痛の要因に重くされている。
わたしが生活と文学とにコンプレックスを全然持たないか、或は極く少くしかもたない女だという見かたは、わたし自身としては奇妙に思える。「伸子」からはじまる続篇
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