――社会主義的リアリズムについて考えている作家は、スタインベックがソヴェトの人々の合理主義を扱ったああいう風にそれを扱おうとはしないだろう。そして、社会主義の社会の住民として「攻撃を受けて自分自身を守り通した小さい人々」の人間価値を評価し、彼ほど衷心から戦争の犯罪性を指摘するなら、人民階級の独裁ということと、金と権力をひっくるめて独占するということとの間にあるちがいについても学ぼうとするだろう。――これはもとより、わたしが「道標」の前半を、どのように書くことができているか、ということについての弁明ではない。「道標」前半におけるモスクワと伸子との相互関係は、伸子がまだそこにある社会生活を総括して政治的なその根元からつかめず、次々に接触する事物からの感銘や批判を摂取して目に見えず内面変革にすすんでゆく、その段階においてとらえられているのである。拙劣に扱われているかもしれないが、伸子とモスクワ生活との関係で、主体と方向は失われていない。
四
新心理主義の方法は、現代社会のコンプレックスを超現実の手法をもかりてコンプレックスなりに再現しようとしたのではなかったろうか。
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