文学にあっては、あることが表現しにくい、と表現するにさえ、つまりは表現の力をかりなければならない。文学として表現されたとき、真の人間不信はあり得ないと思う。なぜなら既に表現するということが、理解を予想しているのだから。
 わたしの心理に近代的コンプレックスが見られないということが、あき足りなさとしてしばしば云われる。或いはいくらか嘲弄的にもふれられる。ある読者からフロイドをどう考えるか、という質問もあった。
 わたしの生活と文学との通って来た特別な道行きをさかのぼってみると、わたしは、常にコンプレックスを解く方向[#「解く方向」に傍点]へ努力しつづけて来た人間であった。互に押しへだてられて生活した十二年間に、夫と妻であるわたしたちは、当時の不自然きわまる個人的・社会的条件――コンプレックスそのものである日々の中で、あらゆる機会と表現をとらえて可能なかぎり互のコンプレックスを解放する努力をつづけて来た。ひずんでしまわないために、偏執にひからびないために。
 そういう事情があったばかりでなく、わたしは、コンプレックスを解こうとしずにいられないたち[#「たち」に傍点]かもしれない。日本の
前へ 次へ
全26ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング