|気違いだ《スウマ・ソシュリー》! と答えるにきまっている。しかし、この場合、ソヴェトの人々の常識では狂気としか判断されない事実[#「事実」に傍点]を、スタインベックは、神の怒りにかけて現実に見つつあるのである。そのような巧智な話術で彼がすりぬけた――というよりも、集団《マス》として「ロシアの問題」にかかわる彼の同国人をすりぬけさせてやった、その線のところにこそ「怒りの葡萄」ののちに来るテーマがひそんでいるであったろうに。――
彼が「一人の男に握られた権力やその永続を極度に恐れ憎むアメリカ人にとって」、スターリンがどこでも必ず顔を出している(肖像画や写真や彫像で)ことは、「恐怖すべきことであり、嫌悪すべきことである」と云っていることも現代のアメリカ市民の心理にある特色を示していて興味ふかい。現在のアメリカ人にとってきらいなこと[#「アメリカ人にとってきらいなこと」に傍点]は、きらいなことだときめるだけですむかのように、それから先の追究をすてているところに、アメリカの明るさと同時に異様な主体性の没却を示している。
そして、巨大な現象をつかみながら、作家の主体的角度が消失しているという
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