ると、大抵、それが真実でないことを納得した、と語っている。読者は、このエピソードに、ソヴェトの人々の四角四面で素朴な合理主義が、スタインベックの練達した話術のトリックにかかるモメントを目撃しないわけに行かない。そして、このエピソードにおけるスタインベックの成功を慶賀するよりも、現代においてすぐれた作家の一人である彼が、そういう話ぶりをしていることを気の毒に思う。なぜなら、「怒りの葡萄」の中でスタインベックは、カリフォルニアの果樹園とそのまわりにあぶれている季節労働者――土地をとられた農民の群の有様を描いている。豊饒なカリフォルニアの果樹園で、市価がやすいために収穫がのばされている。樹の下には甘熟した果物が重なって落ちて、くさりはじめている。酔うような匂いがあたりをこめている。だが、あぶれて餓えている労働者たちは、その一つを拾って食うことも許されない。子供が拾って食うことも厳禁されている。「怒りの葡萄」に鋭い筆致で描かれているこの事実をスタインベックがソヴェトの人々に向って話したとしたら、こんな非合理で非人間的な浪費があり得ると思うかときいたとしたら、ソヴェトの人たちは何と答えるだろう。
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