の一つは「道標」第一巻から第二巻にかけてのころ云われた、作者は折角ソヴェトを描きながら、伸子の見たことしか書けない、という批評である。桑原武夫の評論の中でも、この「レンズの光度の低さ」は「日本的方法の限界を示し」、日本の文学に共通な後進性として、鋭いフォークで刺されている。そして、スタインベックが旅行記をかいたように、その他ヨーロッパの誰彼が旅行記をかいたように、日本の作家には外国がかけないのであるというように云われた。
スタインベックの「ソヴェート旅行記」は魅力のある報告であった。そこには、一九二七―三〇年のモスクワでないモスクワが描かれているし、反ナチの祖国戦争で、ソヴェトの人々が人類の平和のためにどれだけかけひきぬきの犠牲をいとわなかったか、その巨大な破壊とそこからの回復のためにいかに奮闘しているかということを、スタインベックは、あたたかくわれわれにつたえている。スターリングラードでの、彼は、彼の作家としての生涯にとっておそらく最も強烈でまじりけない人類的感銘をうけている。
「スターリングラードの再建」の最後に彼ののべている感想には、真実の響がある。世界の元首たちが、スターリン
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