延長にもたえるはずではないだろうか。手早くつくられてゆく物語の面白さというのではなく、人間がまどろしく生きてゆくかと思うと、あるとき案外な飛躍もするその歴史の面白さを物語る、その感銘が生み出せないと云えるだろうか。わたしのところでは、はじめから社会主義リアリズムの方法によって描く、という、説明として通用しやすい手段はとられなかった。作者としての見とおしはあるものの、あらわれたところでは長篇の肉体そのものの螺旋形上昇とともに、その内側で社会主義リアリズムものびて来る、ということにならないわけには行かなかった。わたしにおいて社会主義リアリズムは、作品をつくる方法[#「作品をつくる方法」に傍点]として、作品のそとに存在するものでなかった。
 作者としては、このごろやっと一つのところへ出て来たが、このおかしな方法――だがわたしにとってそれしかなかった方法を、全く第三者として分析する能力には達していない。

          三

 風がわりな歩調で歩いて来たにせよ、作者として一定の方法が展望されていたことは、今日までの過程でうけた批評のあるものについて、いくつかの問題を考えさせている。
 そ
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