「……そんなことをわたしが知るもんですか、アンナ・リヴォーヴナ」
リザ・セミョンノヴナは、ナースチャが茶を持って来た時、
「アンナ・リヴォーヴナは、盗まれた敷布が惜しくて、頭をおっことしてしまったよ、ナースチャ」
と云った。
「どうしたい、可愛い犬はよくお前を嗅いでってくれたかい?」
「ええ、アンナ・リヴォーヴナとマリア・セルゲエヴナは、わたしが盗まなかったのが不満なんです。ねえ、リザ・セミョンノヴナ。いまにどんなふしあわせが来るんでしょう。ちょうどわたしのところに鍵のあった晩に盗まれるなんてねえ。……盗んだ人間は、安全でわたしだけがこんな辛い思いをするなんて」
ナースチャは、急に憎悪に燃えた眼をして叫んだ。
「悪人奴! 悪人奴!」
往来では粉雪が降り出した。歩道の上を花売り男が両手に鈴蘭の束を持ち、
「新しい鈴蘭、きりたての鈴蘭、お買いなさい、五十カペイキ」
通行する年よりの女に近づいて、花束をつきつけた。老婆は買物籠の経木製の二本の百合の花を指さした。「ごらん! これを。いりゃしないやね」――アルバートの広場の赤白塗の古い大教会では、二人の男が鐘楼で受難金曜日の鐘を鳴らした
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