・リヴォーヴナがまだ書付《ドクメント》を書いてくれないんです」
 リザ・セミョンノヴナはちょっとだまりこんだのち、云った。
「なんとか云われたら、こうお云い。じゃなぜパーヴェル・パヴロヴィッチは自分の組合へ入っているんですかって――いい?」
 ナースチャはつよく合点合点した。
 けれども、ナースチャの本心はもうかわっているのであった。アンナ・リヴォーヴナにほのめかされた疑いが彼女の頭からのかなかった。ナースチャは主人をせきたてなかった。
 十日ばかりして、またリザ・セミョンノヴナに同じことをきかれた時、ナースチャはむしろ不意に体のどこかを突かれたような感じをうけた。(まだ忘れないでいたか)ナースチャはとっさに不自然な熱心さでリザ・セミョンノヴナへこごみかかり訴えた。
「聞いて下さい。リザ・セミョンノヴナ、アンナ・リヴォーヴナは返事だけして承知しないつもりなんですよ。どんなにわたしが毎日毎日頼んでるか! 昨日だって、わたし一時間も云ったんです。そりゃあ一生懸命云ったんです」
 だがリザ・セミョンノヴナは、彼女の綺麗で怜悧な水色の横目でナースチャの喋べくるのを眺めながら、膝を抱えて体をふり
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