の肩に鏝《こて》をかけた自分の頭をおっつけそうに喉を反らせ、やがてこごみ、大笑いした。
「まさかネクタイを茶色から黒にする勇気もない男なんてこの世にあるもんですか?」
 笑いながら、ひどく黒く光るながしめ[#「ながしめ」に傍点]でウラジミール・イワノヴィッチの縁なし眼鏡をのぞいた。
「そうじゃありませんの――いかが?」
 女の口が白い顔から浮き出し宙で紅く開いたまま、一直線に技師の顔に向ってすべってくるような感覚であった。
 肩のひろくあいた白服の胸に三色菫《イワン・ダ・マリア》の造花をつけて笑っている女は、市の映画常設館ピカデリーのプログラム売りが職業であった。
「自分でおかしくなってしまいますわ、二つの外国語を知っていて、中学校を金牌で出た女がこんな仕事しかないなんて……」
 それは食卓でのことで、思わず彼女の顔を見なおした数人の年とった女には目をかけず、その時もやっぱり彼女は野菊の白い花越しに技師ばっかりを見つめ、いらだたしげに笑った。
「ねえ、こういうのがロシア語では機会均等と云うのでしょうか?」
 アンナ・リヴォーヴナその他の女たちは、黙って払い下げ品ロマノフ家紋章入りの皿か
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