ずんだ。ナースチャは顔を上に向けて笑った。市場は、陽気だ。
 リザ・セミョンノヴナも陽気でなくはなかった。
 リザ・セミョンノヴナは時々は夜も、台所へ入って来ることがある。
「ナースチャ、ちょっとじりじりやらせてね」
 爪磨《マニキュール》した彼女の手にアルミニュームの小鍋がある。小鍋に二つの卵とハムが入っている。アンナ・リヴォーヴナとリザ・セミョンノヴナがとり交した契約書には、モスクワの借室がたいていそうであるように台所は利用せぬことになっているのであった。セミョンノヴナでも、しかし時には、夜、茶と一しょに熱いものが食べたかろうではないか。
 台所の隅の腰かけに、昼間のせてあった金盥の代りに、いまはナースチャ自身がかけている。ハムをあぶりながら、リザ・セミョンノヴナは綺麗な水色の瞳で、じろじろナースチャを眺めて、云うのであった。
「ナースチャ、なぜおかっぱにしないの」
「わたし似合わないんです」
 リザ・セミョンノヴナの小料理は手伝うこともないので、かえってナースチャは間がわるい表情だ。
「きったことがあるの?」
「いいえ、伯母さんも似合わないというし、シューラも似合わないって云うも
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