の前に現れた。
「ねえ、奥さん、本当の主婦《ハジャイカ》ならこれを見落しゃしませんよ、たった九十五カペイキ、お買いなさい奥さん」
 二人の鶏売りにはさまれ、女は怒ったように、
「駄目! 駄目!」
と叫んで一そう早く歩き出した。
「わたしは買わないよ、いらないっていったら!」
 行手にはもう別の人だかりがあり、鮭の切売りを見物しているのであった。
「ナースチャ!」
 肉売り店の前に立って少し口をあけ、面白そうにその様子を見ていたナースチャは、びっくりしてうしろを向いた。
「さ、これ」
 アンナ・リヴォーヴナは犢《こうし》の骨付肉を新聞でつまんでナースチャの籠へ入れた。
「駄目だよ。さらわれちゃ」
 女が二人ならんで足許の箱に玉子をひろげていた。ナースチャが来かかった時、年よりの方の女が、急にあわてて箱をもち上げ、
「来たよ」
とささやいた。あわててもう一人の女も箱を持ち上げ逃げるかまえをしたが、そちらを見て、
「籠をもってる」
 安心して、再び玉子の箱を元のように足許に下した。直ぐ巡査が現れた。巡査も買物で、ほかの群集の男女と同じに籠をぶら下げ、玉子売の隣で胡瓜《きゅうり》漬売の前にたた
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