ことを怖しいと思わない人があったろうか。華々しく語られている戦勝への希望の裏にこういう現実がいたるところに満ちているということを、その場で暮した青年達で目撃しなかった人達があるだろうか。そのことによって、嫌悪と疑問とを感じない人はなかったと思う。この偽りない気持の中にこそ、それらの青年が自分達に蒙らされた破壊と浪費との中から立ち上って行く真面目なモメントが蔵されていた。口に言われていること、書かれていること、宣伝されていること、それが全部ではなくて、それと全く反対の現実がここにある。その二つの間にあって自分というものの生活がどんな関係であり、どうして行かなければならないかと深く考えることが出来るならば、戦時中の青春の浪費というものは、又違った形でその人々の若さをとり戻させる力となり得たであろう。
けれども日本の旧い権力は自分の権力を守ることこそ大切であったが、一人一人の若者の青春が、わずか十六、七歳で、或いは二十歳で、或いは二十五歳で打ち砕かれて行くことをしんからいとおしまなかった。同じ死なせるにしても、人間の威厳を自覚させて死なせようとさえもしなかった。支配者達は、青年の生を踏み躙
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