灼熱された石炭の中に投げ込まれた一片の鉄のように自分を感じ、強烈で新鮮な印象に充たされながら、「彼等の辛辣な環境に沈潜して見ようという希望を呼び醒された」のであった。
 然し、時が経つにつれ、ゴーリキイの心に一つのつよい疑いが湧いて来た。これらの同情すべき人々は、どうしてこう何を喋っても、すべて過去の形で「あった」「よくあった」「こうだった」「ああだった」という風にばっかり語るのだろうか。彼等にとって総ては嘗てあった[#「嘗てあった」に傍点]ことである。これから何かあるだろう[#「あるだろう」に傍点]ということ、そのことは決して彼等の言葉にのぼって来ない。これはゴーリキイを苦しませ、恐怖させた。
 ゴーリキイの胸には「何かぼんやりとした、しかし私が見たすべてよりももっと意義ある何物かへの欲求」があるのである。ゴーリキイの心には周囲の生活に対する切ない反問が生じた。「何のためにこれ等のすべてがあるのであろうか?」
 この時代にゴーリキイは或る予期しないきっかけから当時ロシアに擡頭していた「人民派」の学生達と知り合い、その研究会へも出席するようになった。ゴーリキイは天成の素直さ、鋭い清廉な
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