彼の読む本は何と人間の尊厳、発展の可能、真理の強さについて語っていることだろう。ゴーリキイは遂にカザン市に行って、カザン大学へ入る決心をした。
ところが、行って見るとカザン市で彼を迎えたのは歴史に名高いカザン大学ではなく、着いて三日目からの飢えであった。カザン大学のどの課目にもないゴーリキイ独特の「私の大学」時代が来たのであった。
ゴーリキイは淫売婦や貧しい大学生、人生の敗残者などがごたごた詰っているカザン市の貧民窟の一隅に、或る急進的な学生と暮した。
寝台が一つしかなかった。学生とゴーリキイとは夜昼かわり番こにその寝台に眠り、朝になるとゴーリキイは「飢えないために、ヴォルガへ、波止場へと出かけて行った。そこで十五――二十|哥《カペイキ》を稼ぐことは容易であった。」
幼年時代は祖父の家の恐ろしい慾心の紛糾を目撃し、転々と移ったこれまでの仕事の間では小市民的な日暮しのあくせくした猜疑に煩わされて来た。十五のゴーリキイにとって、これらの荷揚人足、浮浪人、泥棒の仲間は、彼等の極端な貧窮、不幸により、而も猶彼等が自由に生活を選んでいるという点で若いゴーリキイを惹きつけた。ゴーリキイは、
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