キイの風采というものはいつもチェホフを辟易させたルバーシカ一点張で、こんなことさえあった。或る日ゴーリキイがペテルブルグ市中の或る橋を歩いていると、理髪屋風の二人連の男がゴーリキイを追い越して行った、が、その一人の方がびっくりしたように伴れに小声で云った。
「見ろ! ゴーリキイだぜ」
もう一人の男は立ち止ってゴーリキイの頭の天辺から足の先までじろじろと眺め、やり過してから夢中になって云った。
「えい! 畜生ゴム靴をはいてやがら!」
一般のゴーリキイに対する熱中が高まるにつれ、その影響をおそれる側からの迫害がはじまった。一九〇一年の四月に、ゴーリキイは労働者のために檄文を書いた廉で罪に問われ、起訴された。この時ゴーリキイはニジェゴロドスカヤ県のアルザマスという町へやられ、室内監禁にあった。
「小市民」「どん底」の二つの戯曲がこの一種の流刑生活の間に書かれた。「どん底」は特別な成功をかち得、ゴーリキイの名をいよいよ世界的にした。「どん底」の巨大な成功によって得た金で、ゴーリキイはペテルブルグの「ズナーニエ」という出版書肆を買った。少しでも自由に、進歩的な本を出版しようという意志なのであ
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