だろう。ものの美しさは、生活の裡で時、場合、人にかかわりあって来るその流動において感じられ、とらえられるもので、なければなるまい。何が美しいかということに関する固定した知識が伝統からもたらされるとすれば、どんな時どういう風に美しくものを使ってゆくかという感覚こそ、今日の中から新しい美をつくり出してゆく潜在力となるものだと思う。
日本の衣服についての再吟味が初まって幾何かの時が経っているが、婦人の衣服の改良案などが一つも訴えて来るものをもっていないのは、やはり改良して行こうとする心の動機に、弾力がないからだと思う。単一化そうとばかり方向がむけられていて、人間は働き、そして休みくつろぐものであるという、生存の根本のリズムがつかまれていない。平日と式日という風にだけ頭が向けられていてそれを何とか一つもので間に合わそうと考えられている。それでは美しさも、凜々《りり》しさも生かせまい。
働き着は働きの律動を充実させたところに美が見出されるのだし休みのときの服装は、休みのときの感情に添うているからこそ人間の衣服と呼ぶにふさわしいのである。和服で面白い働き着というような工夫が紹介されるとき、妙に
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