いうところを眺めていると、過去の世紀の権力の表現方法やその様式というものが、絵巻のようにまざまざと甦って来て、あくどい思いがする。
 いろんな国の品物のいろいろな面白さのよろこびで一つ二つのものが、家のあちこちにひょい、ひょいとあるのは自然にうけられるけれど、家具調度一式琉球とか朝鮮とかいうところのもので埋める趣味があるとすれば、その一つ一つがもっている美しさとは、いつしか別物なはためには何々の間と相通じたものとなって映る一種特別な感覚もあり得る。
 生活の中にあるものの美しさは、それが巨大な機械類であると、小さい日用品の類であるとにかかわらず、そのものが生きて働く目的を十分示していて、その充実感が美に通じているべき筈のものだろうと思う。
 一つの御飯茶碗がここにあるならば、それは色と云い形といい、いかにもそこへ御飯をよそって食べて見たいと感じさせる。そういう直接で溌溂としたものでありたい。それを作ったひと一人だけの趣向だけが強調されているものは、道具類だと猶更重苦しいと思う。
 この意味で、美しいもの、という観念が私たちの生活のなかでもっともっと贅肉のとれたものとならなければならない
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