、ある箇所は、もっとリアリスティックにたっぷり惜しみない描写を与えられるべきである。そういう作品に即した根気づよい研鑽こそ階級人として創作するその動機、主題、手法の統一について、真剣な現実追求を作家に要求する。そして一人の作家を、成長させる。
トルストイが「アンナ・カレーニナ」を書いていたとき、家出をしているアンナが、愛する息子セリョージャの誕生日の朝、こっそり良人の家へしのんでセリョージャに会いにくる場面にかかった。このとき、トルストイは、不幸なアンナが切迫した愛の思い、屈辱感、憎悪と悲しみとの混乱のなかで、カレーニンの玄関に入ったときヴェールを脱ぐだろうか脱がないだろうか、外套はどうするだろうと、作者トルストイが何日も苦心したということが伝えられている。トルストイは彼の芸術の限界のなかで、しかしリアリティーに忠実に、特殊な感情に必然な一定の行動を探求したのであった。現代の民主的、または社会主義的文学は、リアリティーの把握を、現象と現象との間にある個体的連関の理解という範囲からひろげた。現象の個別的必然の底によこたわる社会的・階級的な歴史の必然をその実感の範囲にとりこむところまでの
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