は遂行し、所得を実質的には1/3にしてしまう所得税をはらい、言論抑圧に等しい紙不足に服し、あれこれの投票をして社会生活をしていることについて我から怪しまないのはふしぎである。現に自分が屈伏しつつある少数者政治には無抵抗であるが、そこから解放しようとする政治――自分も民衆の一人と知るならば、その民衆生活の向上と文化の確立のための階級的な進歩的な闘争を意味することが、どうして不自然なのだろう。今日の日本のインテリゲンツィアのいじめつけられた病的な思考力は、文化・文学にたいする政治の優位という言葉そのものをさえ、情報局的本質にしかのみこまない。自身の生きる人民階級の歴史的達成の方向・方法のうちに包含される人間の社会現象としての文学として自然に感じとれない。これはこれまでの日本人民が、有識人でさえも、自分で自分の社会を進展させ、破壊し、建設してきた経験がなく、社会的な自主的なやりかたを知らないということの告白にほかならないのである。今日の日本において、政治と文学と、政治の優位性の課題は、深甚な意味をもっている。この課題に、日本の民主化の人民的な実感性がかけられている。
ジダーノフの報告も、「
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