に、なぜ作家は、陳雲が諷刺しているような畸型的「家」に自分をしばりつける必要があるだろう。私たち日本の民主的作家は、過去の日本の半封建の社会生活が、東洋においても西欧においても、どんなに貧弱にしか人類の幸福のために貢献しなかったかということを認めている。そのためにこそ日本文学は、その古典も現代作品も、世界にひろく生存していない。けっして、保守的で独善的な一部の人のいうように言語・風俗の特殊性だけが決定的条件ではない。それらの不便は、より重要な必要が生れ、要求がおこるなら、なにかの方法が発見され必ず克服されるのである。東京裁判の進行を見よ。
 日本の民主化をのぞみ、そのために努力する人民とその作家は、いまこそ、世界において侵略のモメントでばかり自己の存在を示してきた日本を、別のものにしようとしている。東洋における民主化の推進者、その参加者、平和の確保力の一つとしてあらせようとしている。これが日本の社会の発展的な方向であり、これが各個人・各才能・各幸福の実現に通じる道である。日本における民主的文学の高揚といっても、それは実際において日本の社会生活の諸面での民主化が進捗しなければ不可能である
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