、日本に来ても、ユーゴスラビアへ行っても、彼には彼の手帳をとり落すほど気を奪われる何ものもなかった。彼の自若性、客観性はテストにかからなかった。それらの国々での社会生活は、彼のもちあわせた判断力を惑乱させるほど豊饒でないから。アメリカでシーモノフは、一個のソヴェト市民とし、一個の社会主義作家として、これまでのどこにおいても経験しなかったいくつかの経験にめぐりあわないわけにゆかない。シーモノフの年代の作家たちは、辛苦にたいし、窮乏と危険とにたいして耐える自信は身につけた。資本主義社会というものの性質も、わかっていると思われている。けれども、ニューヨークの昼と夜とのあらゆる生活の表裏は、けっしてけっして彼の英訳された「昼と夜」と等しいものではない。愚劣なもの、醜悪卑劣なもの、同時に賢明、純良、壮大であり横溢的で、すべての現象が、現世界の全保有量の過半をしめるアメリカ的社会の上に満開している。その失業やストライキや住宅難もともに。ソヴェト作家シーモノフは、このアメリカの巨大な有機体のなかに入って、自身の社会主義的自覚を、自身の人間的内在性すべての亢奮をとおし、自然発生の諸眩惑と誘惑とをとおし
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