て、対決させないわけにはゆかない。自身の理性の最大を働かすだけの刺戟をうけるのである。
シーモノフにおけるこの経験は、エレンブルグのアメリカにおける経験よりも、ソヴェト文学にじかにつよい作用をうつすであろう。エレンブルグは、その気質、年齢、外国生活のながい経験などによって、アメリカの社会生活と自分との関係を一定の規準で設定する技術をもっている。コンスタンチン・シーモノフは旺盛な三十歳という年齢、彼の感性的な素質、経験の追求、観察の追求における作家らしい生活性などは、日本の浅く乏しい社会生活の流れの上に立った期間においてさえ、私たちに感受された。彼の横溢性はアメリカの横溢性と向いあい、まじりあって、彼が社会主義の段階に到っている民主国の市民、その人民の作家であることを、どのようなおどろきをもって再確認するであろうか。ここに、一つの大なるみものがある。ジダーノフの報告に警告されている、ソヴェト作家の外国文学追随の弱点というようなことは、シーモノフの一例でも見られるとおり、ソヴェト社会が、人類の歴史にもたらしつつある寄与の大きさによって、国際的となりはじめた若い有能な作家・技術家・諸市民が
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