験した場合でさえ、その制度、内容について客観的な評言が世に与えられないのは何故であろう。自分の行為に対する引責――刑に服したことと、経験した獄舎生活の研究とは別のものでありそうに思われるが、堂々たる立場によって発言する人はない。外部からでは役所の記録に表わされたことしか知れない。それ故、女監一巡が熱心を呼び醒したのであった。
 あの記事によって私共は日常行事を知り得た。衣類や食物や、行動の時間割などについて。紙数の制限があった故であろうが、余りそれだけすぎた。例えばそのような細部に於ても女囚が月経中まし紙と称して多少余計な浅草紙をいただかせて頂く、ということ。その非衛生な事実について筆者の意見が些も滲み出していない。皮肉さで、いただかせていただくという、恐らく特殊な用語例の一つが使われているだけだ。そのような卑屈な念の入った言葉づかいを強制されるとしたら、それが既に精神的問題の何ものかであろうと私は感じた。真柄さんは獄中の事実を書く時、生来の陽気性と親ゆずりの鈍感性のため、獄中生活が一生を左右する程のききめをもたなかったから、さも親しそうに監獄の生活について話せると云っておられるが、全
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