窓にかけて新聞をひろげている慎一の姿を眺め、峯子は夜なかに、空気を截《き》って耳につたわって来た音をきいて、あれ程のせつない気がしたというのが、不思議に思えた。それに、何と云って話していいか分らないような心の経験でもある。
格別拘泥しているつもりでもなかったのに次の晩も峯子は同じようにして目が醒め、醒めて見るとそれは夜なかで、そしてその音がしているのであった。同じように峯子は切なかった。しかし、その感情が非常にせつないだけ、益々その時慎一をおこす気はおこらなくて、彼女は一心こめた思いで眠りのために芳しく重い良人の体を抱くのであった。
幾晩それがつづいたろう。或る晩、ふっと眼がさめて、習慣から峯子は敏感に枕から頭を離すようにして耳を聳《そばだ》てた。暗い夜がどこまでもこめているばかりで、その闇を劈《つんざ》く例の音はなかった。待ち心地できいていたが、その音は確にもうしなかった。そうすると、涙が出て来て、涙が出て来てたまらず、峯子は床の上に坐って、自分で自分をいぶかるように少し頭をかしげて涙に濡れていたが、やがて椿模様の寝間着の袂で涙をふくと、その唇を良人に近づけた。慎一は、少年ぽくむ
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