の事実、失敗の事実に面した時、明かな理解と同情、並に混乱しない自他の境界を認めてそれを経験し考察し、深く静に各人の途を自ら見出して行くのが、健康な文化社会人の態度ではあるまいかと思うのである。
 若し、右のような態度が、人類のあり得べき発達の少くとも或る程度迄到達した状態であるとしたら、今日、我々の周囲を取繞《とりま》く、日本の社会はどうであろう。流石に、本能と衝動とのみによって恋愛に生きる時代は過ぎている。けれども昨今、かなり屡々世上に伝えられる結婚生活の破綻と同時に起る種々な恋愛問題に対して、当事者から、周囲に到るまでのその決意決行、批判ある態度に於て、一指も指されないほど、厳かな絶対性を持っているだろうか。云うことを許されれば、自分はそのどちらからも不安を与えられずにはいないのである。
 今日、社会の知識[#「知識」に傍点]は、人格の平等、恋愛の創造性、結婚の純一性などに対して、相当に深まっていると思う。人々は、恋愛によらない結婚の恐るべく恥ずべきことを力説する。真実の愛もない夫婦の生活が、多く、如何程の人格的偽瞞と虚偽に満ちているかを摘発する。新たな恋愛価値の創始、人格の飛躍が
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