うごかしている稲草人である。夜も眠らない稲草人の前に、一つ一つくりひろげられる貧しい農家の老婆が害虫と闘い生活と闘う姿や、飲んだくれの夫に売られることを歎いて、投身して死ぬ漁婦の独白は読者の心魂に刻み込まれて消すことの出来ないリアリティーをもって描かれている。
その左腕を内側にまわしていかにも力強く群集をその下に抱きかかえているように、又右腕の拳はぐっと前につき出して、敢て彼を侵さんとする者は何人たりとも来ってこの刑具――拳を受けよ! という風な英雄像に彫り上げられた一塊の石にしかすぎぬものが、余り市民の崇敬を受けてその栄耀に傲慢となり、もとは一つ石の塊であった台座の石ころたちと抗争しつつ、遂に自身の地位に幻滅してこっぱみじんに砕けてゆく物語は、平静に、諷刺満々と語られている。
同じ作者によってかかれた「稲草人」の悲しい絶望と、この作品の展望的な結果の対照とは、私たちに、中国文学が進んでいる明日への方向について示唆するところがある。魯迅の大きい、嘘というもののない人間及び文学者としての投影のなかから、既に、魯迅自身は歩まなかった新しい中国文学の一歩がふみ出されている。丁度ゴーリキイ
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