行かれるのだ、という切迫した願望が、血行と共に、彼の身内を循環し始めたのである。
 この、愛す! という誓言は、今の場合、正隆にとっては、単純な愛情の証言ではなかった。信子夫人の、天地に懸けた愛で、彼自身、彼の全部を、肯定して欲しかったのだ。彼が、不幸な運命を負うて生れた者であることも、彼が、よい天分を持っていることも、それを発揚することは、不可能なことも、総てを、ありのまま、よし! といって貰いたかったのである。
 正隆は、どうぞ、
「解っています、皆解っています、私の愛する者よ、さあ確りしましょう、私は、そのままのあなたを愛しているのですよ」
といいながら、腕を引立てて、起して欲しかったのである。
 憤りの狂暴な力は、彼を振い立たせるだろう。けれども、正隆は、その孤独な、緊張の中に、たった一人で立っていることは、堪えられなかった。
 怒濤のような力が、自然にじわじわと鎮ると、その後を襲う寂寥、恐ろしい迄の静謐《せいひつ》に堪えかねて、正隆は感傷的にならずにはいられない。この反動的な感傷は、今、正隆の疑惑、その所産である苦悶が大きければ大きいだけ、深ければ深いほど、共に強度を増して来
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