渋谷家の始祖
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)愈々《いよいよ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)黒|天鵞絨《ビロード》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36、74−3]
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        一

 正隆が、愈々《いよいよ》六月に農科大学を卒業して、帰京するという報知を受取った、佐々未亡人の悦びは、殆ど何人の想像をも、許さないほどのものであった。
 当時六十歳だった彼女は、正隆からの手紙を読みおわると、まるで愛人の来訪でも知らされた少女のように、ポーッと頬を赧らめて、我知らず黒|天鵞絨《ビロード》の座布団から立上った。
 立ち上りはしたものの、次の運動を何も予想していなかった未亡人は、皺の深い口元に、羞らうような微笑を漂《うか》べて、そっとまた元の座になおると、後の壁の方へ振向いて、
「しげや、しげや、しげやはいるかい」
と、お気に入りの小間使いを呼びながら、手を鳴らし
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