った。彼女の美と、捧げられた奉仕を、彼は、いざとなって何の悲歎もなく振り捨て得るとは、どうしても思われない。たとい、彼女が、敵の見えざる掌から渡された者でも、若し彼女が自身でそれを自覚もせず、また利用されさえしないならば、自分は、決して彼女を見返すことは出来ない、と思わずにはいられない。どこに彼女ほど、清澄な美を持って生れた女性がいるだろう。
どこに、彼女ほど高い気品を持った女性がいるだろう。
彼女の従順と、謙譲と。醜い女でも持ち得る、そのために人に尊敬さえ払わせる美徳を、比類のない輝くような美に並有している女性、その信子、その婦人が、尚も自分を裏切るだろうという想像は、正隆にとって、恐るべき苛責である。
自分の歯で自分の魂を食う苦しみなのである。
彼は、一日一日と日を経る毎に、その疑惑に堪え得なくなって来た。無言の中に、信子を監視する冷淡に、じっと息を殺してはいられなくなって来たのである。正隆は、ただ一言、はっきりと天地に懸けて誓って欲しかった。どうぞ、焔のような激しさで、愛す! といって欲しかった。そうさえすれば、自分は、せめて信子だけを信じ、守り、縋りついて、生活を続けて
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