のない方に極めた方が、一番簡明でいいじゃあないか」
という発言の下に、出来栄としては数等劣った、劣っているが故に、真田の実力であるに違いない仕事を、採決することになってしまったのである。
洋行とか留学とかいうことが、直接自分達の生活とは、何の関係も持っていない者達は、悪意のない無関心で、評議の材料を取扱ったのだろう。
並べられた、二百枚近い紙の背後に、どれほど熱した魂が、彼等の指を見守っているか、せめてただの一度でも考えて見ようともしない人々は、ただ、文字を並べた紙を綴じた物、その「物」によって、留学という、一種の概念の傾きを決定しようとしたのである。
けれども、正隆にとって、二百枚の紙は、決してそれほど軽く見られるものではなかった。その紙背に、あらゆる彼の希望が懸っていた。父の持つ本能的な愛、良人の持つ無自覚な妻への誇、よき生活への憧憬、その他、順調に流れた数年の後、今彼の胸に暖く芽を育て始めた、総ての「よき願い」がどっしりと重く裏づけられていたのである。
然し、始め、彼の仕事が拒絶された理由を知らなかった時の正隆の失望は、寧ろ感傷的な甘みをどこやらに漂わせたものであった。
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