かという、最初は極く淡い、互に云うのさえ憚られるようなものであった一種のアンティシペーションは、討議、評議と時を経て行くうちに、何時ともなく皆の心の中で、濃度を増して、終には動かすべからざる疑問となってしまったのである。
疑い出して見ると、事は紛糾するばかりである。どこにも、決定を与えるべき証拠がない。ああだろう、こうだろうと云っているうちに、人は不安にならずにはいられない。そういう結論の与えられない疑の中を這い廻っている自分自身が、一時《いっとき》も堪らないほど、厭に、不安になって来る。そして、結局は、どうでも好い、早く何等かに片をつけてしまったら好いではないかという心持に、なって来るのである。
こういう場合、与えられる決定が、それを受ける者を考の中心に置いていないことは、明かである。自分の不安を追うための決定である。自分に与える回答である。従って、最も平明な、最も単純なものを「よし」とすることは免れ得ないことなのである。
正隆の仕事を挾んで向い合った時にも、皆が知らずに、皆がこんな心持になっていた。そして、掴みどころのない、いざこざの末、
「そんな疑いがあるのなら、一層、面倒
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