けにしていたのである。

        二

 何事かと思わせるような歓迎に抱き取られて、帰京してからも、正隆は、何を思い煩うこともないらしく見えた。
 母未亡人に金を貰って外泊をしたり、時には涼風に、長めな髪を嬲《なぶ》らせながら、招魂社の池の辺で、亀の子の甲羅を眺めたりしながら、正隆は悠然と、生活の戸口に彷徨していたのである。
 けれども、母未亡人は、正隆ほど安閑とはしていなかった。
 瞳よりも可愛い、唇よりもいとおしい正隆を、その美貌に於て誇る未亡人は、また、彼の栄達に就て、焦慮せずにはいられない。生活のために息子を働かせるのではない、という自信を持つ彼女は、殆ど正隆と同量の自尊心を以て、彼の地位を期待した。そして、三月ほど経つと、長兄の紹介で、正隆は、或る官立農学校の教授となることになった。
 その農学校というのは、東京から数百|哩《マイル》南のK県に在って、校長と長兄とが、かねて親しい友人であった関係から、彼は全く好意で、比較的高級な教授の空席を占めることになったのである。
 東京を離れるということは、少くとも、彼をとり繞む快楽の減少という点で、正隆を躊躇させた。けれども、
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