と、正隆は、何だか分らない自分の無力を感じずにはいられなかった。従って、あらゆるそれ等の、けれども――という前提の後に従って来るものは、若し彼が、その無力さえ完全に恢復すれば、消失すべきもののように思われるのであった。
それなら、どうして、見えざるその無力を補充するのかといえば、正隆は、ただ高い地位を我ものにすることだとほか目標が付かなかった。女性の与《あずか》らない男性の世界である仕事で、彼女の持たぬ何物かを得ようとするのである。けれども、これ等の心の過程は、信子の美に、殆ど絶対価値を置いている正隆にとって、決して復讐的なものでないどころか、些の、冷淡さも含んではいなかった。ただ、希望である。形の纏らない野心《アンビション》である。功名心である。一つの暗い洞穴を抜けながらも、天性の自負を失いきれない正隆にとって、それ等は限りなき赫奕《かくえき》たるものに想われる。嘗て彼が、大学の制帽を戴いていた時分に夢想した成功というものと、今の成功とは、その内容の複雑さ、甘美さに於て、著しく違って来ている。
自分の成功は、世間への華々しい出現は、同時に彼の重宝である美の信子を、一層燦然と輝やか
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