はすがりつきながら眺めた副島氏は、これはまた正隆を驚かせるほど泰然と坐になおって、小山のような膝の上には謡でも謡う時のように伏せた双手が行儀よく据えられている。のみならず、総てを飲込んだ落付きで、この憐れな、まごついた正客に眼をくれようともしないではないか。
 正隆は、両面攻撃に逢ったような、頼りなさと、憤りを感じて唇を噛んだ。
 さっきまでの、明るい、楽しい、笑声の渦巻いた世界は、瞬く裡に、けし飛んで、冷い、意地の悪い、疑いが、化物のように根を張った粘土の世界が、恐しい絶望の裂目から、もりもりとせり上って来たのである。
 自分のような書生が、こんな七面倒くさい作法などを心得ていないのは常識で考えて見たって、直ぐ解ることではないか。
 それを、ただの茶でも飲ませるようにして、何心なく誘い込んで置いて――。二人ともが、ちゃんと腹の中で牒し合わせていたに違いないのだ――。
 正隆は副島氏の夫妻がここでは有名な、茶の凝屋《こりや》であることは知らなかった。謡の好きな人が、泣きそうになる相手を前に据えて、心から喜び楽しんで「鉢の木」を一番という心持を知らない彼は勿論、副島夫妻の罪のない喜びを理
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