、何の道義的責任を負わされることもなければ、不安を感じさせられることもなかった。彼が、無恥になって見たいと思う程度に、女性達も、不幸な無恥に馴れている。愛を黙殺した情慾の専横のうちに、正隆は淋しい追放者の自由を味っていたのである。
然し、佐々家に移って以来、正隆は強いても己を縛っていた、一種の諦めともいうべき盲目を、そろそろと、然し確実に破られそうになって来た。
彼が現実的に思い得る、恐らくそれが最高の程度に、家庭的幸福を保有している佐々夫婦が、要するに放浪者である正隆の魂を、淋しがらせずに置く筈はない。主人の義一は、彼と殆ど同年配であった。尚子夫人もまた、今もなお彼の心眼にまざまざと浮ぶ信子夫人と、同じほどの年頃である。あらゆるものが、現在は手も、心も届かない彼方に、奪い去られたものではあっても、若し呪咀された運命が、僅かの手心を加えてさえくれたならば、必ず、今日自分の身辺を囲繞《いにょう》する筈の光輝であるのを思うと、正隆は堪え切れない思いが、自ずと胸に迫るのを覚える。
希望は不死鳥なのか、不思議な未来への願望。それを飽くまでも拒絶し、否定し、無に帰そうと努力しながら、なお、
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