ての隅々にまでも、見えざる歓喜、聴えざる歓声が漲っているような、光明に包まれていた。事業に於て、着々と進むべき道程を進んでいる主人と、まだ三十を僅か越した豊艶な夫人と、一人ずつの男と女との子供達、それに召使いを混ぜて、朝から晩まで、笑い声の絶えないような環境に、燻《くすぶ》った、澱んだ正隆の魂が投《ほう》り込まれたのである。
 誕生の時から老年に近い今まで、嘗め殺しもしかねない未亡人の愛に浴して、勿論正隆は、優しさとか、親切とかいう感情には、充分飽満していた筈である。けれども、新らしい佐々家に移ってから、一日一日と日が経るに連れて、彼の心に湧き上って来たものは、一種の感嘆と、同時の羨望である。
 屋敷の周囲に槇をずうっと植え込んで、裏の菜園で苺の実熟《みの》るこの家には、五葉の松に手奇麗な霜除をした九段の家とは、何かまるで種類の違った力がある。光る仏壇と、どこか年寄くさい陰気の漂っていた家に比較すると、二人の子供が、キーキー笑い叫びながら芝草の上を転り、燕のようにブランコを振る光景は、何という相異だろう。
 犬っころのように、無我な幸福で躍り廻り、跳ね廻る子供に取巻かれながら、散歩する
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