るから平気だもの。正直にすべって、足許をこわがっているのは、私たちのような、よそから来たものだけだ。
 その山の茶屋では、志賀高原の松の翠からこしらえた松葉茶を売っている。はじめて登って来た日に、私はそれをすこし買って、山口にいる良人のお父さんのところへ送った。ふと自分の父にも買ってやったらと思い、もういないのだと思ったら、胸のところがきつく、変な気持がした。
 松葉茶をのんでいるのだろうが、この茶屋の隠居さんは腎臓がわるいとかで、凝った隠居部屋のわきの別室に寝台を置いている。お内儀さんが、わざと、そこの部屋の見えるように障子をあけた。きっと、山の中では珍しい寝台やその上にかかっている厚い羽根布団を見せたかったのだろうと思う。
 二階の見晴しの部屋に、広業が松を描いた六曲の金屏風が一双あって、よく日に光っている。また、三間のなげしには契月と署名した「月前時鳥」の横額がかかげられている。これは恐ろしい雲の形と色とである。一緒に眺めていた栄さんが、広業って寺崎広業でしょう、ここの人かしら、お寺も広業寺っていうんでしょう、というには、よわった。私はそういう由来については知らないし、心で、契月
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