うごかされてガラス窓をあけてみた。内部は三和土《たたき》のありふれた湯殿のつくりであった。盥が置いてあるのだが、縞のフランネルの洗濯物がよっぽど幾日もつかりっぱなしのような形で、つかっている。ブリキの子供用のバケツと金魚が忘れられたようにころがってある。温泉の水口はとめられていて、乾あがった湯槽には西日がさしこみ、楢の落葉などが散っていた。白樺の細い丸木を組んだ小橋が、藪柑子の赤い溝流れの上にかかったりしていたところからそこへ入って行ったので、乾きあがって人気ない湯殿の内部は大層寂しく私たちの目にうつった。
そしたら、その湯殿が、広業寺の温泉なのだった。尼さんは、いい年なのだそうだ。下から多勢の遊山客がのぼって来るが、急なその坂道は、眺望のよいのにかかわらず、いかにも辷りやすい。広業寺のもちものだから、横木を入れれば余程楽しるのに[#「しるのに」に傍点]。十本も入れてくれれば、何ぼいいかしん[#「しん」に傍点]ないのにねえ、と、山の茶屋のお内儀が話した。でも、尼さんは、そんなことはしないだろう。辷りそうなとき自分は、季節が秋であろうが、雪下駄を穿けば、それには辷り止めの金具がついてい
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