に心地よくひろく高くはねとばされて、その後四年たって面上に落ちかかって来たときは、その震動の激しさで、外ならぬその発言者が顛動的上下動に身をさらすこととなったのである。
文学にあらわれたこの深淵は一般に微妙な時代的翳をなげていて、現代小説では人間の社会的な生活の物語と所謂《いわゆる》生態描写との本質上の区別がぼやかされて来ているし歴史小説の分野では、時代と環境との客観的意義の評価を見直すことでは前進しつつ、そこにゆきかける時代の人間の積極なものとの関係の分析と意義とを従の関係におくことではやはり現代の文学の敗北の投影がみられる。そして、評論の面では、誤った文学の政論化功用論への対症として、文学の本質に再び一般の理解を据え直し、云わば文学とはどういうものかということについて語り直されることが必要であるという努力の方向がみられる。
これまでとはちがう意味での文学的啓蒙が日本の文化にとってどんなに必要かということは、二年前ともかく知性の作家と称して売れた阿部知二氏の売れゆきは去年でぐっと減って、島木健作氏さえ本年にかけて石川達三氏に売れゆきを隔絶的に凌駕されているという、一応文学以外の現
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