いうことが強調された。従って、現代のヒューマニズムが日本の旧来の東洋的諦観を根底に横たえた自然主義的な現実への屈服や、誤った客観主義とたたかって、益々色濃く迫っている悪時代を人間的に生きぬこうとするためには、ヒューマニズムの文学は社会の客観的理解によっても特性づけられなければならないという現実的な面は、一部の人々によって論ぜられながら、ただ、それは論ぜられているという範囲に止まった。そして「現代のヒューマニズムは、特に理論への情熱として示されねばならぬ。」「抽象的なものに対する情熱こそ、今日ヒューマニズムが強調しようと欲するものである。」というような見解が広い影響を持った。
 ここに於て私たちは今日明瞭に次のことをみることが出来ると思う。即ち、当時のヒューマニズムの提唱さえも既に不安の文学といわれた時から現代日本文学の精神に浸潤しはじめた現実把握と理念との分裂の上に発生しているものであったという事実である。
 ヒューマニズムを求める社会感情は、当時極めて一般的な翹望であったに拘らず、そのような抽象性へはまり込んでつまるところは観念の域を破れなかった理由もまた複雑なものがあったと思う。能動精神の文学が、歴史の現実ではプロレタリア文学の時期の後に生まれている必然を避けて過去の文学を理性的に批評し得なかったために自身の成長の道を見出せなかったと同様に、ヒューマニズムの提唱に於ても無制約な人間再生の要求の強調された心理の根底には、やはり現代ヒューマニズムが歴史的な現実把握と理念との強力な統一を予想しているという核心をおのずから避けて、「人間中心の心情」一般を肯定する安易さに陥った。
 この文化上意味深い事実は、当時、文芸評論が急速にその論理性と科学性とを失いつつあったという現象によっても裏づけられた。何という奇怪なことであったろう。ヒューマニズムの文学というような豊かで範囲も広い筈の提唱が起っているのに、まさにその時、文芸評論はその理論性を失って独白《モノローグ》化し随筆化して来ていることが注目されたというのは当時の日本文学のどういう悲喜劇であったろうか。
 この時期ナンセンスな流行歌と漫才とエノケン、ロッパの大流行をみたのは、人心のどんな波動を語っていたのだろう。
 ヒューマニズムの歴史性そのものが内包していた方向から目をそらして無制約に人間中心の唱えられたことは、文学に
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