はらんでいたこと、従って文学として理論をも持ちかねたことから幾何もなく『行動』も廃刊となって、その標語は文学におけるヒューマニズムという広汎な野づらへ押し出されたのであった。
 考えてみれば、人類の文学の歴史の中にこのヒューマニズムという声は幾たびか意味深くくり返えされて来ている。ヒューマニズムという言葉をきいた時、誰の胸にも浮ぶのはヨーロッパ文化に於ける文芸復興時代のヒューマニズムの多彩な開花であろう。ルネッサンスは中世の思想と社会が人間に強制していた種々の軛《くびき》からの人間性の解放を叫んで、社会文化の各方面に驚くべき躍進を遂げた時代であった。
 降って十八世紀の西欧に於ける人文主義も封建の封鎖に対して人間性の明智と合理とを主張した広義のヒューマニズムの動きであった。引続く世紀に例えばトルストイによって表現されているヒューマニズムは、日本の『白樺』の精神にも流れ入って来た。言ってみれば芸術の本質はヒューマニズムをその不可欠な一つの足場としていて、それぞれの時代にヒューマニズムというものは歴史の発展の段階をまざまざと反映しつつ推し進んで来ているのである。非人間的な条件に対して人間性の尊貴を主張するこの人間の要求は、それ故、各時代に異った要素をその実質に加えつつある。一九三五、六年以後新しい情熱で世界の感情の中に燃え立ったヒューマニズムへの要求は、明らかにこの要求の反面に人間性を重圧する社会事情の存在を意味していた。そしてヒューマニズムが真のヒューマニズムであるかぎり当然そのものとのたたかいが予想されていたのである。
 能動精神の提唱に続いてヒューマニズムの問題をとりあげた当時の日本の作家たちは、この一つの声の中に数年来の社会的・文学的諸課題を投げ入れて社会感情の統一体として提出したのであった。
 今日実に意味深く顧られることは、このヒューマニズムの提唱に際しても多くの人々は能動精神、行動主義に対して示したと同様の理解の限界から脱し得なかった点である。先に能動精神がいわれた時、文学以前のものとして在るこの課題の実現のためには、社会行動に於ける一貫性が必須であることを理解し得なかった一部の人々、独自の文芸理論がないことから文学の収穫としての作品がみるべき成果を示さなかったと全く同様に、ヒューマニズムの課題の究明と展開とに際しても、「人間再生の要求の無制約的な承認」と
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