ではないか。
 私は、頭《つむり》を一方に傾け我を忘れて佇んでいる青年のわきを、そっとすりぬけて街路に出た。
 少し猫背の、古びた学生服の後姿を見て、誰が、あの軟かく溶け輝いて花の色を映していた二つの瞳を考えることが出来よう。
 私は、ぼんやり飾窓の前に立って何かに眺め入っている自分やこの若者やの後姿が、行人の或る者にどんな印象を与えるか、よくわかっている。
 自動車の厚い窓硝子の中から、ちらりと投げた視線に私の後姿を認めた富豪の愛らしい令嬢たちは、きっと、その刹那憐憫の交った軽侮を感じるだろう。彼女は女らしい自分流儀の直覚で、佇んでいる私の顔を正面から見たら、浅間しい程物慾しげな相貌を尖らせているだろうと思うから。又、黒衣黒帽のストイックは、其処に恐ろしい現代人の没落と地獄的な誘惑とを見たと思うまいものでもない。
 彼には、現《うつつ》をぬかして眺めている私の様子がこの上もなく危険に思えるだろう。何故なら、彼那に見ている以上欲しいのに違いない。が、あの身なりで其は覚つかない。慾しい慾望と不可能と云う事実との間にどう心を落付けるかと云うところまで、推論して行く几帳面さを彼は持っているか
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