ある花や、男のひと、女の人の顔にどんな影がつくだろう。――夏の夜のようかな。それとも、暖炉でポコポコ石炭が燃える冬や、積った雪に似合わしいか? そう思って見るから、実は私も飽きないのさ。」
 心の中で愉しい独りごとを呟きながら、もう姿も見えない小僧の跡をたどって、私もそろそろもと来た方に還り始める。――

 それにしても、このような空想的|遠征《エクスピディション》を、旧銀座通りの白昼にしたのは、私ばかりであったろうか。
 身なりもかまわず、風が誘うと一枚の木の葉のようにあの街頭に姿を現し、目的もなく、買う慾もなく、ただ愉しんで美を吸い込んで歩いたのは、貧しい一人の芸術愛好者、私ばかりであったろうか。
 ――そうは思われない。
 私の眼が、一人の仲間を見た憶えがある。
 或る晩春の午後であった。
 私が独りで、ぶらぶら白く埃の浮いた鋪道《ペーブメント》を京橋の方に歩いていると、前後して一人の若者が通りすがった。同じ方向に行く。これぞと云う定った目的はないらしく、彼は絵ハガキ屋のスタンド迄のぞいて、殆ど私と同時に一軒の花屋の前に立ち止った。
 広い間口から眺めると、羊歯《しだ》科の緑葉と
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