然し心配はいらない。私は、一冊本が買えても買えなくても、多くの場合、同じように愉快であった。彼処に、あの煉瓦の建物の中に、彼那にぎっしり、いろいろの絵と文字で埋まった書籍がつまっているのだ。それを知っている丈でも、豊かなよい心持でないか。
幸福な、而も田舎の子供のようにしかつめらしい顔をした私は、次に工事を終ったばかりの京橋を渡り、第一相互館の宏壮な建物の下に出る。
そこに、私のフェイボリットが二つあった。
一つは、電気器具販売店、一つは、仏蘭西香水の売店。
どちらも一階の往来に面した処にあった。真鍮の太い手摺にぴったりよって立ち、私は、ぼんやり空想の世界に溶け込む。
ああ、あの高貴そうな金唐草の頸長瓶に湛えられている、とろりとした金色の液を見よ。揺れると音が立ち、日が直射すると虹さえ浮き立ちそうな色だ。
彼方の清らかな棚におさまっている瀟洒な平瓶。薄みどりの優雅な花汁。
東洋趣味と鋭い西洋趣味との特殊な調和を見せている黒地総花模様の飾瓶などを眺めていると、私の胸には複雑な音楽が湧いて来た。
亢奮が、私をじっとさせて置かない。
声にならない音律に魂をとりかこまれなが
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