燈の下で
  呼びながら立っている
  私の奇麗な花を買って頂戴な と。
 深い夕靄の空に広告塔の飾光《イルミネーション》がつややかに燦くにつれ、私の胸の中にはその謡の幼い、単調な、其故却って物悲しい音律が、ロシア婦人の帽子の動きに縺れて響いて来た。
 其位なら何故、私は、彼女のそばによって、一つの銀貨と引かえに、不用な画帖を受けとってやらなかったか? 私は、先一度そうした。そして、もう二度とは繰返すまい感銘を受けたのであった。
 彼女が、愛嬌に薄い頬につくる微笑が、どんなにその唇の隅で震えているか、私は目で見た。
 背の低い私にかがみ込んで画本を示した彼女の眼が、どんなに飢えた、求める、人間ばなれのした光をもって私の瞳をのぞき込んだか。全体の上品な顔だちの中で光った眼の色は、殆ど私を恐れさせた。その眼色、その引つった唇が、僅か二十銭で変る、変りかたを見て愉快に思うには、私は少し多くの神経を持っているのだ。
 憂鬱な気持になり、私は一二台、電車をやり過した。
 都会の雑音は愈々膨れ拡った、荒々しい獣のように、私の目先を掠めて左右に黄色い電車や警笛をならす自動車が入り乱れて馳せ違う。ぱっ
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